2
〈Space Syntax〉の
理論と実践

2:〈Space Syntax〉の理論と実践

ロンドン大学 UCL を舞台に
― 着眼点の発見と、理論の進化

あたりまえのようで、気付きにくい。シンプルに見えて奥深い。 空間の「つながり」を数字で表すこと。この発見は、ロンドンで起きました。

ロンドン大学は、伊藤博文の留学先となった由緒ある総合大学ですが、世界でも有数の都市・建築学部 バートレット校があることでも有名です。
1970 年代の建築研究の世界において、人類学、位相幾何学、情報科学といった他分野への深い理解をベースとして新境地を切り開いたビル・ヒリアー教授。バートレット校での彼の研究やその論理的な 建築批評は、公共住宅の治安悪化など様々な都市問題を抱えていた英国で大いに注目されました。 その後、多くの議論を通して世界中に研究者のネットワークが広がり、情報処理技術の進化を背景に発 展してきた Space Syntax の理論や手法は、都市・建築プロジェクトで実践的に用いられるようになります。 1989 年に大学発ベンチャー企業として Space Syntax Limited が設立されてからは、ビル・ヒリアー 教授の弟子のひとり、ティム・ストナーを筆頭に多くの実務家が世界中のプロジェクトで活躍しています。

空間のつながりを数学的に表す
― 基本的なアイディア

部屋をつくりましょう。壁に窓を開けて、扉をつけます。 部屋はどこですか? その中にある、空っぽの部分です。空間とは、「何にもない」部分です。 しかし、そこで何かが起こる。それこそが機能なのです。 老子『道徳経』第十一章(高松誠治による意訳)

建物について考えるとき、その大きさ、形態意匠、素材、色彩など、構造物そのものに意識が向きがちですが、ビル・ヒリアー教授は、その中にある「空間」に着目しました。 ある「空間」そのものではなく、それが「どこと、どのように、つながっているか」に焦点を当て、つながりをネットワークとしてあらわす研究を行いました。そして 1980 年代前後に、グラフ理論の手法を用いて空間の機能を定量化する手法を考案します。 これによって、目に見えない場所の持つ機能や価値、つまり「レイアウトの力」を定量化、可視化することができるようになったのです。

人の移動:その意味と価値
― 理論の応用範囲、周辺分野の知見

都市における人の動き。歩く、立ち止まる、周囲を見渡す、経路を選ぶ、 だれかと話す、座る、店に入る、買い物をする、また誰かと出会う。 人の行動データをどのように集めて、解釈し、役立てれば良いのでしょうか?

Space Syntax は、多くの都市研究家が提唱する「観察調査」の手法も用い、あらゆるデータの可視化を考えます。ただ、人の行動が「そこ」で起きることの要因を、空間から考察することが、独自の特徴です。
「都市における人の行動の基本は、移動(通り過ぎること)です。街路構造が経路をつくることによって移動が発生する。都市の賑わい(あるいは閑静さ)、経済活動や、社会的な問題(犯罪の発生やその不安など)も、『人通り』に関係していると言えます。〈中略〉つまり、もっとも根元的なものは、 都市の空間構造そのものなのです。空間構造は、人の活動を通じて街に命を与える、都市の多機能 性の基礎をなしているのです」ビル・ヒリアー教授 Space is the Machine, p.126, 1996

創造性を支える、科学的アプローチ
― 都市空間デザインの実務での活用

「私はこの技術が実務で役立つことを知っています。私は、分析・観察・研究の世界と、情熱・曖昧・直感の世界の双方を愛します。スペースシンタックスは、それら異なる世界を相互作用させる試みなのです。」ノーマン・フォスター(建築家)

ロンドンの中心部に位置するトラファルガー広場。かつては自動車交通に取り囲まれた孤立した空 間、観光客の記念撮影だけのための場所でした。すべての人のための、都市の焦点として相応しい広場とするため、建築家ノーマン・フォスター卿を中心とするチームが編成されました。 現況分析とデザイン評価を担当した Space Syntax チームは、人々の行動の観察から、潜在的な行動欲求を見つけ出し、それが実現するような空間配置となるよう、分析的なデザイン検討を行います。 2003年、新しく生まれ変わった広場では、観光客が次の行き先に向けて各々の方向に自然と歩み出せる配置に。また、近隣住民の多くが立ち寄り、時間を過ごす場所にもなりました。 他者の存在を意識し、時間の流れに思いを馳せる。都市らしい、現代の「広場」としての再生。 Space Syntax による、人と空間配置の関係への考察がそれを支えているのです。

都市空間から商業施設、そして文化施設へ
― 様々な空間分析への展開

「建築は、衝突の場ではなく、出会いの場である。それは、半アート・半サイエンスではなく、完全にアートであり、完全にサイエンスである。」
ビル・ヒリアー教授

「つながり・関係性からの空間特性の定量化」というのが、Space Syntax の基本的なアイディアです。 これはつまり、広さや大きさ、高さにとらわれない、つまり「あらゆる空間スケールで使える」ことを意味しています。 イギリスでは国土全体の幹線道路ネットワークの分析に、イタリアでは遺跡の分析(古代の部屋の 機能を推測)に用いられました。一方で、商業施設などの屋内空間の詳細なレイアウト分析にも使われています。日本の都市でも、駅周辺や大型商業施設における空間配置検討に使われはじめて15年ほどが経ちました。 商業施設では、顧客に楽しく回遊してもらい、多くの商品を販売し、施設の経済的な価値を高めたいというのが空間レイアウト分析の目的となります。では、美術館のような文化施設では何が求められるでしょうか?

ロンドン大学 UCL を舞台に
着眼点の発見と、理論の進化

ロンドン大学 UCL を舞台に 着眼点の発見と、理論の進化

ビル・ヒリアー教授

ロンドン大学 名誉教授 専門は、建築・都市形態学。
元UCLバートレット校大学院チェアマン。
UCL Space Syntaxラボの設立者、ディレクター。
博士(科学:ロンドン大学)

追悼
ヒリアー教授は長らく病気療養中でしたが、この展示の会期中の 11月6日に逝去されました。82歳でした。世界中のSpace Syntaxコミュニティーが悲しみに包まれています。彼の遺した多くの思想や知見を生かして、これからも豊かな都市・建築空間が創造されていくものと信じます。

Space Syntaxとして知られる空間配置パターン分析手法の創案者であるビル・ヒリアー教授の代表的な著作として、以下の2作を挙げることができます。

The Social Logic of Space (Cambridge University Press, 1984, 1990)では、人間と建築・都市環境との関係全般についての理論を中心として構成されています。また、‘Space is the Machine’ (CUP 1996)では、彼の理論に基づく膨大な研究の成果が説明されており、多くの空間要素に関する様々な論考がまとめられています。
他にも、幅広い領域の論文を発表しています。

人物紹介

ティム・ストナー

英スペースシンタックス社 代表取締役

建築家、アーバンデザイナー。
都市空間や建築物内で人々が移動する、交流する、売買するなどという「人間の行動パターン」に関する研究やデザイン実務にキャリアの大部分を捧げてきました。空間レイアウトデザイン、とりわけ社会、経済、環境的な価値の創出における空間レイアウトの役割についての専門家として世界的に知られています。
1995年に、英Space Syntax社 代表取締役に就任。会社が大学(UCL)発のベンチャーとして産声を上げて以来、世界的に広がる今日まで、代表を務めています。
兼任として、アカデミー・オブ・アーバニズムのディレクター、UCLバートレット校 客員教授、ハーバード大学ロエブ・フェローシップ研究員、英国デザインカウンシル副代表。

英スペースシンタックス社

代表取締役 ティム・ストナー

取締役
アラン・ペン教授、アナ・ローズ、ケイバン・カリミ博士、
マックス・マルティネス、エド・パーラム、ヨランド・バーンズ

ほかにも国際色あふれるスタッフが、
ロンドンの事務所で働いています。

高松 誠治

スペースシンタックス・ジャパン株式会社 代表取締役

徳島県徳島市出身、幼少期は街の中心の商店街近くで育ち中高生時代はバンド活動に明け暮れる。そのなかで、都市の多様性や、予期せぬモノ・コトとの出会いに興味を持ったことが、後に都市計画、交通、景観デザイン、建築、都市デザインを学ぶことにつながる。

東京での大学院生活を経て都市計画系の事務所に就職するものの、自らの専門性に疑問を抱く。デザインと都市解析の双方ができる仕事を探し求めるうち、ある日、Space Syntaxを見つけ直ちに留学を決意。UCLでの修士課程修了後、2001年、英Space Syntax Limitedに就職。様々なプロジェクトを主導的に関わる。2006年帰国後、独立起業。

中心市街地のエリア再生、複合再開発、大型商業施設、駅周辺などの公共空間再整備など多くのプロジェクトにおいて、「分析的アーバンデザイン検討」、「空間特性指標を用いたデザインアドバイス」を実践する。

兼務
2015年~ 東京大学まちづくり大学院非常勤講師、
2018年~ エンジニアアーキテクト協会 事務局長 など

空間のつながりを数学的に表す
基本的なアイディア

空間のつながりを数学的に表す 基本的なアイディア

Space Syntaxの基本的な特徴は
「空間のつながり」を数学的に表すことです。

まず、ひとつの「空間」をどう定義するか、という問題があります。最も簡単なのは「一部屋」を1空間として捉える方法で、その接続関係を「グラフ」とよばれる図で表します。

右図を見てください。
b. の建物では、屋外cと二つの部屋が相互につながります(図d.)。
c. の建物では、部屋aだけが屋外cとつながっています(図e.)。

このように関係によって、グラフの形が異なるのです。部屋の数が増えると、さらにグラフの形が多様になることがわかります。

いろいろな形の「グラフ」の「樹形の特徴」は数値で表すことができます。

理論

理論

右のような間取りの家があるとき、

屋外を起点とするグラフは、このように表されます。

このとき ②号室を起点としてグラフをならび変えると、
このようになります。

②号室から見たとき他の部屋の関係の近さ/遠さはグラフ上の深さの平均で表すことができます。この場合、

1.43となります。

一方で、⑦号室を起点として同じように並び替えると、

2.86となります。

つまり、②号室は、他の部屋と近い関係=中心的な特性を持ち、
⑦号室は、他の部屋と遠い関係=奥まった特性を持っていると言えます。

このように、各部屋の「平均の深さ」の値を算出して、値が小さいほど赤く、大きいほど青く塗り分けると、このようになります。

赤っぽい色の部屋は中心的な特性、青っぽい色の部屋は奥まった特性を持っている言えます。この値を標準化したものが、Integration(インテグレーション:近接中心性)という指標です。

※インテグレーションは値が大きいほど中心的ということになります。

もちろん、これは「つながり」の観点からの指標であり、部屋の広さや設え、機能(寝室や台所など)は、また別の要素となります。

このように空間の特性を数値化する手法を、様々なスケールや形態の 「空間」のつながり方の分析に用いることにより、都市空間や屋内空間など様々なタイプの場所のデザイン議論に用いることができます。

創造性を支える、科学的アプローチ
都市空間デザインの実務での活用

創造性を支える、科学的アプローチ 都市空間デザインの実務での活用

トラファルガー広場:歴史的環境の再生デザイン

ロンドン中心部、トラファルガー広場とパーラメント(国会議事堂前)広場の間に連なる公共空間群は、国政府の中心地であるとともに、多くの人々にとっても「ロンドンの中心」として認識されています。

1996年、公共空間の質の改善を目指したエリアのマスタープランが、ウェストミンスター区役所および大ロンドン市役所から発注されました。
このエリアは、歴史遺産として非常に重要でありながら、自動車交通に取り囲まれ、危険で、不快な広場になっていたのです。

ロンドン市民の歩行軌跡(青)、観光客の滞留行動(赤)と乱横断(緑)調査データ
広場周辺の視認可能範囲の指標値分布
広場周辺の歩行者動線のインテグレーション(近接中心性)の向上予測

Space Syntaxは、初期の歩行者行動パターン分析を担当し、以下の2つの課題を明らかにしました。まず一点目は、ロンドン市民が広場の中を通るのを避けていること、二点目は観光客によるトラファルガー広場とパーラメント広場の間の移動が非常に困難であることでした。

これらの診断は、建築家ノーマン・フォスターのチームがコンペで勝利し、契約を勝ち取ることに貢献しました。

再生デザインの提案は、新たに大階段を設置すること、一部の道路の歩行者化、パーラメント広場方面への動線の強化などが含まれました。

しかし、その歴史的な重要性から、これらの解決策は技術的な論争になりました。Space Syntaxは、エビデンスを組み合わせて示すことによって、提案の合理性を強く主張しました。

そしてついに、Space Syntaxのエビデンスによる説得が功を奏し、計画の推進に許可が下りました。トラファルガー広場再生の一期が2003年に竣工すると、その大きな成功が示されました。

歩行者量は13倍に増加、観光客だけでなく多くの市民にも使われ、あらゆる時間帯で活況を呈しています。

英国も、欧州のライバルに負けない広場をつくることができることを内外に示すプロジェクトになりました。

姫路駅前 デザイン評価と歩行者動線予測分析

姫路駅前広場の再生デザイン

JR姫路駅(兵庫県)北口は、世界遺産 姫路城が正面に見える、観光都市の玄関口と言えます。それにもかかわらず、自動車中心で「歩きにくい」「わかりにくい」駅前となっていました。

多くの専門家や市民組織による議論によって、「人」が中心と広場のデザインが構想されました。この再生デザインの結果、人の動きがどのように変わるか、どのように街に波及するかの分析にスペースシンタックスの手法が用いられました。

竣工した駅前広場では、歩行者の多様な行動が見られます。調査の結果、予想したような経路で移動し、想定した成果が示されました。

この手法は、その後、豊田市駅(愛知県)など多くの駅前のほか、商業施設の屋内空間の分析にも使われています。

参考文献:市民が関わるパブリックスペースデザイン、小林正美 編著、 2015